2016~2018/ 「泣かず飛ばず!」お店があるとは思えないような、大通りから1本入った、しかもビルの2階。とにかくお客様が来ないのです... 最初の板さんは1年半で辞め、2番目の板さんも1年半で辞め、それはわたしたちに、お料理の技量も経営の才覚もなかったのが原因です。特技である「一生懸命さがある」これは聞こえはいいかもしれませんが、お店を軌道に乗せるにはなにもかもが不足していました。
2018年夏、広島では再び豪雨災害があり、あの時期も試練でした。「人が大変な目に合っているときに楽しく飲食に出かけられない」華やかそうに見える着物に着替えてのお客待ちの時間はひどく空しく、来る日も来る日も着物姿で、静かにBGMが流れる店内で椅子に座って過ごすのは本当に苦痛でした。
2018年が終わるころ、わたしは営業中、営業後、寝る前、目が覚める時間、心臓がキューっとなって、変な生汗の毎日。(これは失敗だったのか?)収支が逆転していき、預貯金の切り崩しが何ヶ月目かに入り(どこで見切りをつけるのが経営判断として正しいのか?)毎日毎日が、このことを考えるばかりの時間になり、方向性の定まらない節約が悪循環を生み… そして2018年12月に2人目の板さんとの決別となりました。
ただし、そんな時期ですら自分の中に「まあなんとかなるか、死にゃあしねえ」があったことと、相棒である旦那さんが同じように異常なまでの悲観と恐怖に暮れるタイプでなかったこと(いい意味ですw)が救いだったように思います。